- 地位財・非地位財と聞いたことはあるがよく分からない人
- これらを区別すればなぜ物欲からの解放につながるのかしたい人
- 劣等感の罠にハマっていると感じる人
に向けた記事内容になっています。

年収1000万円でも貧乏な感覚に囚われている人、周りにいませんか?その一方で年収300万円でも十分に幸せを感じている人も多くいます、土偶です。
一体この差は何なんでしょうか?ここでキーワードとなるものが「地位財・非地位財」なる考え方です。
そもそも「地位財・非地位財」とは何か?

米コーネル大学の経済学者で教授のロバート・フランク氏が唱えた考え方。
他人との比較によって満足が得られる財を「地位財」
他人との比較とは関係なく満足が得られる財を「非地位財」と定義した。
つまり高級品か経験か
地位財は、社会的地位をアピールするために身に付けたり所有したりするための、言わば見栄の為に持っている系のことを指す。
一方、非地位財は、健康・自主性・帰属意識・自由・愛情などが挙げられる。
見栄は一瞬
高級なブランド品をその場で自分へのご褒美として購入することがあると思う。その瞬間の幸福度は一時的に高まり、周囲の人に自慢したくなるだろう。
しかし、時間が経つにつれその嬉しさも半減し、やがて皆無になり、そのブランド品は押し入れの中に眠ることになろう。
そして、また別のブランド品が欲しくなると言う循環を繰り返す。
つまり幸福感が長持ちしないお金の使い方は「地位財」となる。
同じ建物に住んでいても、周りが豪邸であれば、うちはちょっと落ちる、と思うし、周りのお家より広ければ、うちはいい家だ、と感じる。
経験は一生
非地位財での思い出は一生に渡り幸福をもたらす。
楽しかった学生時代の貧乏旅行などは年を追うごとにその経験は美化されて、純度は増す。
「非地位財」は、幸福感が長続きすることが多い。
家族や友人との大切な時間を削って、筋トレをする時間削って、良質な睡眠時間を削って、残業すれば、大好きな高級品の腕時計が買える、身の丈以上の高級車の借金を返済できる。
人はなぜ他人と比較することで価値を見出そうとするのか

先ほども述べたように、地位財は瞬間は幸福感を得ることができるのだが、持続性は乏しい。
地位財は頑張り続けるハメになる
なので新たな「地位財」で幸福感を得ようとして頑張り続けてしまう。
結果、勤務状態では、年収は増えていくかもしれないが、忙殺した毎日を送ることになり、自主性、自分の時間の貴重なプライベートなどを失ってしまう人も多くいる。
非地位財はライバルが過去の自分
「非地位財」は、健康とか自主性ですから、他者との比較をする必要がない。
他社との比較がなくなるだけでなく、指示による行動もなくなる。例えば誰かの指示で筋トレとやることはないと言う感じで。
メディア&SNS情報に流されやすい

連休中の高速道路の渋滞を報道し、空港の混み具合を報道し、リゾート地へ行く家族を取材し、アウトレットの長蛇の列を報道し、街頭や駅前ではトレンドを紹介する。
(コロナ禍では少し報道の仕方が変わってきているが)そして流行りのレストランやカフェを報道する。
新製品を視聴者に向かって欲しがるようにけしかける。
時代が流れても中身は変わらない
時代がTVなどのマスメディアからSNSに変遷を迎える過渡期においても情報の中身は自慢したい欲が多くを占めている。
どれだけ地位財を買っても、買いあさっても、食べに言っても、食べ歩いても、食べ漁っても満たされることはなく、永遠に終わる事のない自慢。
映えために買う商品。それは地位財である。
追えば追うほど自分の時間はなくなる
映える流行の商品を購入しないといけないので、労働をして(アルバイト)をして、自分の時間を切り売ってお金に変換し地位財を購入しないといけない。
本当の豊かさとは、映えるために、自慢するために自分の時間を削ることなのだろうか?
まとめ
- 他人との比較によって満足が得られる財を「地位財」
- 他人との比較とは関係なく満足が得られる財を「非地位財」
- 「非地位財」は、幸福感が長続きすることが多い
- 永遠に終わる事のない自慢
- 追えば追うほど自分の時間はなくなる
- 本当の豊かさとは、映えるために、自慢するために自分の時間を削ることなのだろうか
終わり
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