- 毎日出勤して退屈な人間関係に飽き飽きしている人
- この繰り返しで人生の貴重な時間を浪費していると感じている人
- 時間単位がバグっていると感じている人
に向けた記事になっています。
ぜひ最後までご覧いただけたら幸いです。

土偶です。
どうでしょうか?人生100年時代と叫ばれてもう何年も経ちました。
生命を延長する技術は年々進歩をしています、1年で寿命を1年伸ばす技術は当たり前になりつつあります。
さて、勤め人は人生において相当な時間を社内の人間関係と共に過ごすわけですが、企業の目的は利潤を上げることを忘れてはいけません。
会社の目的
お金を稼ぐためという考えが大半だと思います。いま一度働くとは何なんでしょうか?
勤め人の皆さんはなぜ会社に勤めているのでしょうか?
労働力しか自分の商品をもっていない人種の方は労働市場で自分の持つ労働力を交換して市場から生活に必要なお金を入手する手立てを行うしか手段はありません。
労働力は商品です。
いっけん強制労働のように聞こえますが、自らの意思で就職活動や転職活動を行っている時点で、強制労働ではありませんし、働くという商品しか交換材料がないのであれば、市場から得られる金銭も限られるわけであります。

企業の最大の目的

事業体とは何かを問われると、たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。
たいていの経済学者も同じように答える。
この答えは間違いなだけではない。
的はずれである。
もちろん、利益が重要でないということではない。
利益は、企業や事業の目的ではなく、条件なのである。
また利益は、事業における意思決定の理由や原因や根拠ではなく、妥当性の尺度なのである。
ドラッカーの著作「現代の経営」/ 1993年
利潤のために会社は存在しているわけではなく、社会的な役割を果たすために存在しているとあるのです。
しかし社会的な役割を果たすためには利潤は不可欠であると考えます。
従い、【利潤は継続した社会的な役割を果たすための条件に過ぎない】と解釈できます。
経営サイドにとって見れば利潤が社会的な役割に直結するので意識せざるを得ないのは納得でありましょう。
利益を真っ当に出している会社は、世の中の役に立っている会社と理解できるのでは?
利潤の行き着く先
自らの存続と企業を周囲環境へ貢献するためであると言えます。
- 株主へ配当金を仕払うことでの還元
- 国・地方自治体への納税での還元

株主に対して、配当金を支払うという形で利益を還元して貢献して、さらなる出資を促す要因に直結します。経済活動の維持発展、加速させるためにも出資金を促す行為は重要であります。

土地や地域住民を従業員として雇用することで利潤を最大化できる仕組みを企業は行っていますので、そのため国・地方自治体にお納税し社会的は貢献に役割を担うことは当然の責務になります。
勤め人の立場でみると
何のために働いているのか?と問われるときっと会社の利潤の最大化のためにとは答えないでしょう。

お客さまに満足してもらえるサービスや製品を提供するためとか、自分の給料をもらうためとか言います、きっとね
会社の財務諸表をもっと向上させたいと躍起になっている勤め人はいるのかな?
勤め人は自分時間を売りに出している
勤め人は自分の自由に使える時間しか扱えない不自由な人種であるとも言えます。
時間あたりに働くことしかできませんし、働けば働いただけ、自分の自由な時間はなくなります。
自分の自由な時間とは
余暇時間とも言いますが、基本的に雇用された時点で雇い主さまに自分の勤務プラスαの時間は全て差し出していると考えて良いのではないでしょうか?
1日8時間通勤、往復1時間、社内での休憩1時間と仮定しても合計10時間は働くために消費していることなります。
これで残業や名も無き労働でちょこっと勤務となればその数字は増していくばかりであります。
1日10時間の拘束 → 1週間で5日間勤務
1ヶ月20日の拘束 → 12ヶ月
1年でトータル → 2400時間 (1年は8760時間です)27%を占めます。
1年のうち27%もの時間を捧げているにも関わらず、人の時間を何だと思っているんだといえる給与に満足しないのも無理はありません。
職場内での関わりは少ないほうがいいのでは?
人間は非常に周囲の環境に染まりやすい生物であります。
上記の様に1年のうち27%も勤務に消化していたら、もちろん染まらなくても、染まってしまいます。
淀んだ水に純粋なキレイな水を一滴垂らしても一瞬で濁ってしまいます。
人間のコミュニティーも同じ感じであると以前に聞いたことがあります。
なぜ淀んでいる?

淀む原因は、どこかで誰かが堰き止めているからw
どうせ、職場内の面倒くせーヤツがその最前線にいるはずwww
つまり流れがない環境では濁りやすいと言えます。
清流は常に流れがあるため、清らかな環境が保たれていますが、濁った沼はいつまでも循環しないので濁ったままなのです。
コミュニティーでも新しい流れが常に入っている環境は新陳代謝が活発になり、環境は常に向上します。
人間の体内も同じですよね、細胞は常に代謝されて入れ替わっています。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
鴨長明『方丈記』の冒頭
染まらない生き方
職場での勤務時間外のリクリエーションほど意味はないと感じるのでありまして。
ソフトボール大会なんて愚の骨頂では?と甚だ感じることがあります。
いだにわたしの職場ではソフトボール大会が毎年行われいます。
(2021年も開催が決定していましたが感染症拡大防止の観点から中止になりました。というか最初から感染症拡大防止のためにも主催するなよ、気付くの遅ぇーしと思いますが。)
別の職場では勤務時間外の夕方に構内の草むしりをやると聞いたことがあります。
何のために勤務しているんでしょうか?草引きのために就職したわけではありません、しかも労働時間外に貴重な自分の時間を投下して。
何かと理由を付けて淀みの結束を確認したがることはよくあります。

草むしりした雑草でも仲良く喰ってろやwプギャーm9(^Д^)www
何かに付けて集まりたい

新年会、新人歓迎会、送別会、忘年会、その他諸々。
昨今の情勢では飲み会は開催困難ではありますが、ビフォーコロナ時代は盛んに行われていました。
自分の存在と立ち位置の確認にために淀みを分かち合い、脱退を許さないという沼理論が成立します。
清流に入れば、力まずに清らかな流れで生活ができます。
まとめ
- 労働市場で自分の持つ労働力を交換して市場から生活に必要なお金を入手する手立てを行うしか手段はない
- 社会的な役割を果たすためには利潤は不可欠
- 勤め人は自分の自由に使える時間しか扱えない不自由な人種であるとも言えます。
- 人間は非常に周囲の環境に染まりやすい生物
- 何かと理由を付けて淀みの結束を確認したがることはよくある
おわり
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