- 友達付き合いは好きだけど、なんかいつもと同じだと感じる人
- 同じメンバーはもう飽きたと感じる人
- 更に人生を向上したいを常に思っている人

年末年始、飲み会や友人と会う機会が多くなる季節になりましたが、今年は少し違う様子ではあります、土偶です。
みなさん、昔からの学生時代からの友人とはよく会って語り合いますか?実はその行為自体に自分の成長を妨げる要因が潜んでいます。
生ぬるい環境で茹でガエルになるな

学生時代の同級生は話が盛り上がる、特に運動部に所属していれば尚更であろう。(ちなみにわたしも運動部に所属経験者である。あまりいい思いではないが。)
同級生や部活動の先輩後輩と飲みに行くのはすごく楽しいし、友達を大切にしている感が出ていい気分になる。
結論は、「ぬるい」

ぬるくね?
と思えてしまう。
同じメンバーと飽きもせず、同じ会話の繰り返し。環境自体がぬるいと大きく感じる。
進展的な話は皆無であり、良くて現状維持。
世界的に見れば進歩しているわけだから、相対的に言えば、後退している。
ここで、以前の記事を紹介したい、参考までに合わせて読んで頂けたら嬉しい。
茹でガエルになっとりませんか?
茹でガエル現象(ビジネス環境の変化に対応する事の重要性、困難性を指摘するために用いられる警句のひとつ:Wikipediaより)。
ぬるい環境に身を置くほど危険なことはないのだな、とわたしは強く思うようになってきた。
いい感じの温度帯で、

いい温度で、気持ちええわ〜!
とりあえず、快適温度で外に出る理由もないから、もうしばらく入っておこうっと!
こんなこと、言っているうちは、多分危険な状態であるという認識は皆無である。
同級生とばかり会う理由

さて、あなたは同級生とばかり会う人の理由は考えたことはあるだろうか?
理由、楽だから
同級生との食事や飲み会は楽で、楽しい。十分に理解している。
それは非常に良き時間だ、わたしも経験ありなので言うことなしだ。
少しレベルの低い、もしくは同等な同級生と会うことによって、得られる優越感。
自分の過去の栄光、地位、部活動での戦歴、学歴。誇れるものはいくらでもあるのではないだろうか。
その頃のポジションに安心して、あぐらを掻いているともとることは可能である。
簡単である、楽だから。
何の新情報もないのに
あいつがどこそこの企業に転職した、結婚した、家を建てた…
マジどうでもよくないか?
自分の人生において、そんな情報何一つ必要ない…
そんな世界に入り浸っていたら時間無駄である。
時は金なり、時は命なり。
なぜ同級生と会うのは危険なのか

刺激はない、くだらない話の内容、時間の無駄。
ずっと夢の中にいる人は目が覚めることを嫌う
このまま自分と同じレベル、または少し低いくらいの人間通しの集団に身を置きさえすれば、自分のコンフォートゾーンは侵される心配はない。
この状況が心地良い。邪魔しないでくれ。
投資?そんなものはギャンブルと同じでどうせ負ける。
同級生と同じように結婚して、住宅ローン組んでマイホーム購入しないといけないんや!
みんなやってることを自分ひとりだけ違うことはできないしょ!
さて、あなたはどうするか?
こちらの同級生と一緒に歳をとる世界に安住しているのか?or更なる向上の世界へ一歩踏み出さんとしてこんな堕落したいつもと同じヤツらとは決別する世界に行くのか?
あなたならどうする?
わたしは、後者を選択。
向上の世界へ一歩踏み出せば、二歩目も余裕であると知っているから。
常に上を目指す人は何する?

新しい知識を追い求めて、新しい人脈を開拓して、新しい発見を常に探し続ける。
こんなヤツ、成長しないわけがない。
ステージが違う
今いるステージが異なっていれば、出逢う人物も異なってくる。
今いるステージが同じなら、まあ何も変わらないだろう。
ステージを上げるには、会う人をできるだけ自分に相応しい人とだけ合うように心が得なければならない。
なかなか、人脈に繋がることはし難いものではある。
では、消去法で
簡単に考えれば良い。
自分の心的に気分が悪くなる人物はとっと除外すれば良いだけのこと。
気分が悪くなる原因となる人物と波動的にステージが異なっているので、自然と気分が悪くなる。
まとめ
- 現状維持 = 後退
- ぬるい環境に身を置くほど危険
- 同級生との食事や飲み会はマジどうでもいい情報しかない
- 向上の世界へ一歩踏み出せば、二歩目も余裕である
- 気分が悪くなる人物はとっと除外すれば良い
同じメンバーとずっと語り合っても、いつまでも成長はないのである。
終わり
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