- 昔からお金に関して、どこか賤しいと感じて生きてきた人
- お金をもらう事、稼ぐ事、お金自体に良し悪しを感じている人
- fireしたいがお金に対するマインドが変えられない人
に向けた記事内容になっています。

米国株を中心に投資して、日々fireを企んで懸命に勉強を継続している土偶です。
【お金】に対して皆さんはどのようなマインドや感じ方をしているだろうか?ここではお金に関してわたしの個人の考えを示したい(2020年12月現在)
まず、fireに関して簡単に説明したい。fireと聞き慣れない言葉だと思われるだろう。
米国の若者が中心となって密かに流行っているfire movementであり、financial independence retire early 経済的独立および早期退職の頭文字をとってfireと言う言葉が作られた。
以下に土偶が考えるfireとは何かを示した過去の記事内容があるのでぜひ当該記事を読む前にご確認を願いたい。
お金とは

さて、お金とは一体何なのか?といつも疑問に思っている。
図書館で本を借りてくる時も最近は基本的にお金に関する書籍が大半だ。
本当にただの道具にすぎないのか
大量にお金に関する書籍を読み漁っていると共通事項が見えてくる。
お金とは「人生を快適に過ごす為のツールに過ぎない」と言うこと。
お金自体は食べれないし文字も書けない。はっきり言って原始人にお金(紙幣と硬貨)を渡したところでその価値はない。多分意味をなさないからそこら辺に放り投げられているだろう。
日本のお金は日本以外で使えない
では、日本国のお金は外国で使えるのだろうか?
海外旅行に行きときに両替所で現地通貨に両替するのは必然的に日本のお金が使えないと分かっているから両替する。
全く原始人と同じ発想だとわたしは感じる。使えないものは持っていても仕方がない。
教科書では教えてくれない
義務教育では決してお金の大切さは教えてくれない。
なぜだろうか?
もしかして学校の先生ってお金に関して無知じゃね?って思ったことがある。社会に出て民間企業に勤めたことのある教師は微々たる数だろうし、むしろ副業して起業している教師は存在するのだろうかとさえ思ってしまう。
公立の学校の教師は公務員なので、公務員を目指している人が安定以外のことを考えてリスクをとった行動を取るとは考えにくい、というか現に学校の教師がお金に関する授業を行わないのはできないから(知識がない)ではないのかと思われる。
サラリーマンを作るための義務教育ではないのかと巷では言われている。
小学生のなりたい職業ランキングを見れば一目瞭然である

なぜ人に雇われる職が大いに人気があるのだろうか?
唯一作家・小説家ぐらいが雇われない職ではあるが、基本的に勤め人である。
ランキングに起業家・投資家・資本家といった資本主義社会の上流に位置する回答はない。
それは、教えられてないから。
汚いとかないし

お金は汚いものなのか?(昨今の新型ウイルスでお金自体は色んな人々が触るものだから感染のリスクがあるから物理的に汚いと言う話はここでは置いておく、多分相当感染リスクはあると思うが…)
お金に色を勝手につけている
日本人は「お金」というと、すぐに「きれいな金」か「汚い金」かという。金を儲けることを軽蔑する風潮は根強い。
勝手に日本人がお金に対して色を塗っているだけに過ぎない。
なぜ日本人はお金にいい悪いを感じてしまっているのだろうか。
特別給付金のときも
実際わたしは2020年初夏に行われた新型コロナに関する全国民特別給付金一律10万円配布について、ネット申請すればすぐに振り込まれると知りすぐに申請した。
この行為はお金にがめついのだろうか?なぜお金をもらえるのに待っていないといけないのだろう?もらえるならすぐに貰った方がいい。
「お金にがめつい。」でもお金が欲しいから働いているんでしょ?といつも思う。結局は何の為に働いているのだろうか?
儲けて何が悪い?

投資家村上世彰氏の有名な言葉で「お金儲けして何が悪いんですか?」というものがある。
わたしはこの言葉が気に入っている。
汗水垂らすことは美徳なのか
汗水垂らして稼いだお金は清くて美しく、汗水たらして働くことこそが、人として正しい生き方、素晴らしい姿だ(マジで思っている人は多い)。
(もはや宗教的な話である。念仏を唱えるだけで銀行口座の数字が増えれば誰でも億万長者になっている。)
汗水たらして正しく生きることで、次の生も良い環境に生まれることが出来るという価値観。
誰かの為にコツコツ働くことは美徳なのか?会社のために、国のために、未来のために、身を粉にして滅私奉公する行為は本当に美徳なのか疑問にも思わなかった。
正攻法で真っ当に儲けて何が悪いのか?
不正なことは全くせずに自分のリスクをとって金融市場でキャピタルを稼ぐ、インカムを得る。そのどこがいけないのだろうか?
お金をある場所から違う場所へ移動すること、姿を変えることで儲けることは、本当に「汚い・ズルい・怪しい」と思っている時点で自分の時間体力以上に稼ぐことはできないだろう。
限界がある。
個人的マインド(2020年12月時点)

誰しもお金持ちになりたいと考えていると思う。
もう少し給料が多くあったらいいのにな、月々のお小遣いがもう少し多くあったらいいのにな。とか。
本音では、お金が欲しいから働いている
働いている人で、基本的に無給で勤めている人はいないだろう。
働いた対価としてお金をもらうのは、普通ではあるが、突き詰めればお金が欲しいから働いているとも解釈することができる。
お金が欲しい。人間の欲望の表れではあるが、お金で幸せや豊かさを享受することができるので、多くあればいいと考えるのは極めて普通である。
お金を多く手に入れて、自由な時間も多く欲しい
自分の時間を切り売りして、企業や自らの会社で稼ぐ「働く」をせずともお金があり、なおかつ自由な時間が多くあればいいと考えないか?
わたしはそう考える。
なぜ、人々はお金が欲しくて多くの自由な時間が欲しいのに、何にも行動を起こさずに家でTVを見ながら酒を飲んでいるのだろうか?
金が欲しい、時間が欲しい、(fireしたい)そうするにはどういった行動を取らないといけないか…
その答えが考えるめんどだからとりあえず酒飲むか!ゲームするか!ってなるわけがない。
やるべきことは多くある。知らない金融に関する知識を身につける。
損をなるべくしないように、右から左へとお金を移動させて、金利差を稼ぎ、自分の金融資産を世界中に旅をさせる。
これは並大抵の知識を行動力がないとなかなかできないと考えているし、この学習は継続して行わないと意味がないと感じている。
学習も複利的に伸びていく。
まとめ
- お金とは「人生を快適に過ごす為のツールに過ぎない」
- サラリーマンを作るための義務教育
- 「お金にがめつい。」でもお金が欲しいから働いているんでしょ?
- 金融市場でキャピタルを稼ぐ、インカムを得る。そのどこがいけないのだろう
- 自分の金融資産を世界中に旅をさせる。
終わり
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